水という役者
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水という役者

都市計画や、ランドスケープなどの舞台上で、光を浴びて様々な役を演じてくれる役者のひとつに水があります。
同じような広場でも、水盤一つあるとないとでは大きな違いです。水はクーリングという機能面での意味もありますが、人と建築の距離をぐっと縮めてくれる役割を果たすのだと思います。ベンチで休む老人は、ぼーっと水盤に映る風景を眺めながら、刻々と移り行く映像で時間を忘れて楽しめるかもしれないし、子供達はまず水の中に入って遊び始め、明るくはしゃぐ声が周辺を明るい音で満たすことになります。人間は水がなくては生きられません。そういう遺伝子が人間の中には組み込まれていて、水で安らぎを得るというのがあるのではないでしょうか。更にそこに光が組み合わさると、計画した以上に予期せぬ景観を生み出したりします。
夜、水面よりも周辺の情景のほうが輝度が高ければ、水面は周辺を映す水鏡になりますし、水底や水面に高い輝度を創れば、その輝度が昼間とは違う景色を創りだします。
ただし、むやみに水を取り込むことはしてはいけないのだと思います。水は高い所から低い所へ流れるものですし、僅かの隙間でも建物に侵入してきます。その自然の原理原則に乗っ取って取り込むことがうまいデザインなのだと思います。近代建築というのは、そのへんを人間がコントロールできると思いこんだ部分があり、そういうデザインはなぜか居心地が悪いんです。これからデザインや建築に関わる人達には、是非ともそのあたりを心がけて戴きたいと思います。

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