鉛直面の光の重要性は前にも述べました。壁面などの鉛直面は、人の視野に入る面積が大きいので、壁面を明るくすることは、空間の明るさ感を得る重要な手法になるのです。
我々の見ている物は光があたって初めて見えてきます。そこでどんなに美しい物が存在しようと、どんなに不思議な出来事がおころうと、光がない世界ではそれを見ることができません。それはないということと等しいのです。日常に普通に起こっている取るに足らないことでも、普段は光があたらないから取るに足らないと思い込んでいるだけかもしれません。インクの粒子がランダムなブラウン運動をしながら、全体として分布が広がってゆく結果を見ることに光をあててみたら、それが日常で起きている非日常であることに気が付くかもしれません。蚊取り線香の煙の行方に光をあててみたら、カオスという混沌の広がりに心が奪われるかもしれません。
飯能メッツァ「森と湖の光の祭」に行ってきました。このアートのコンセプトは、~宮沢湖と湖畔の森を人々の存在によって変化するインタラクティブな光のアート空間に変える~というものです。木々の中に置かれた光のオブジェは、
日時計とは、影を利用して視太陽時を計測する装置・・・・・古代エジプトで使われていたようですが、現在では、庭園や公園の建造物の装飾の一部として見かけることも多いと思います。
寝室の照明はうんぬんかんぬん・・・という能書きはさておいて。寝室では良い眠りを作るためにも、間接照明やフットライトなどの柔らかい色温度の低い照明が望ましい事はよく知られています。
自然災害が、もう非日常の事ではなくなってきている事を痛感する今日この頃です。非難の仕方やいざという時の対応なども、昔の常識が今の非常識になっている事も少なくありません。
色材の三原色であるシアン、マゼンタ、イエローの3色による混色では、原色を重ねるごとに、眼に入ってくる光は引き算的に少なくなって(暗くなって)いき、3色とも重ねると黒になります
レッジョ・エミリア教育とは、イタリアのレッジョ・エミリア市の幼児教育の場において40年にわたり実践され、近年欧米の幼稚園を中心に世界中で注目されている教育アプローチのことです。
影というものには何故か心を奪われてしまいます。昔から影絵遊びという遊びが人々に喜ばれていたことを思えば、影というものは、昔から人の心を掴む不思議な力をもっているのでしょう。
いつでも、朝までぐっすり眠れます… という方は別として、年齢とともに夜中にトイレに起きてしまうことが段々増えてしまうものです。そして、それからが寝付けない… なんていうことはありませんか?
ライトパイプを天井に施した高天井の照明空間に出くわしました。 ライトパイプとは、「光の全反射現象を利用して、パイプの端部から入れた光をパイプ内に伝達させて、パイプ全体を発光させるミラーやガラス素材でできたパイプ」のことです。
上の写真は4カット1セットになっています。それぞれ4カットともまったく同一材料です。そして、あてている光もまったく同一の光です。にもかかわらず、こんなに様々に表情を変えます。
あかりからのまちずくり~その1~でお伝えした、気仙沼「夢あかり」景観整備にむけての照明実験に対しての、ぼんぼりの角館氏のこんごの展望を含めたコメントを掲載させていただきます。
朝の電車で、窓から見える美しい富士山に感動させられたのに、帰りの夜の電車では窓に映る自分の疲れた顔にギョッとしてしまった!なんて経験はありませんか?
半透過素材は、光との関係で色々な表情を見せるというお話は何度かしました。更に、そうした半透過素材を重ねて使用していく事で、奥行き感を引き出す事ができます。
A 光源から発する光が、下から上に向かってグラデーション的に減光しながら壁面をライトアップ していく状態を表現する。 B Aでいれた光が軒下などの水平面にあたる光の影響を表現する。この時、壁面の光は、上に上がって弱くなっているが、水平面で受ける軒先の光はその弱まった上部の壁面の光より強い輝度になる。
自分のイメージした光を実際に色鉛筆でパースなどに着彩してみましょう。そうすることで、自分が考えていた光のイメージが、案外余計な所にも光を飛ばしてしまっていたり、思っていた以上のアイデアをうみだしたりします。
無数にある光のうち、特に、赤、緑、青の3色を可視光の中での基本色として、「光の三原色」といいます。これはこの三つの光の組み合わせで、可視光全ての色を作り出すことができます。
光は、単独ではその存在を現すことはできません。も物体にあたって初めてその姿を現します。空中を進んでいく光の筋が見えるとしたら、それは空中の塵や埃、もしくは水蒸気などが光を反射しているからです。
同じ量の光を受けても、その物の色や材質の違いによる反射率の違いによって、その見え方は大きく違ってきます。反射率の高い白色のもの(この場合は乱反射)と、反射率が低い(もしくはゼロに近い)黒色のものとでは、形どころか、その存在の有無にかかわるほどの違いが出てしまいます。
2次元の紙面上で3次元の景色などを表現するときは、パースをかけたり、手前の物を奥の物より大きく描いたり、いろいろな手法を使います。同じように、光でも遠近感を強調することができます。
私にとって宮沢賢治の作品は、幼い頃から大人になるまで、ずっと心のどこかに住みついてしまうような、不思議な魅力を放った作品でした。その中に「やまなし」という作品があります。
屈折率の大きい物質から屈折率の小さい物質に光が入射する際に、入射角がある角度より大きいと全反射がおこります。この角度を臨界角といいます。
暗い所から明るい所へ移動した時に眼が慣れてくる時間よりも、明るい所から暗い所へ移動した時に徐々に眼が慣れてくる時間のほうが多くかかるという経験は皆さんお持ちだと思います。
鉛直面の明るさの重要性は以前に述べました。そして、それは不快なグレアを生むような過度の輝度ではいけません。間接的に照らされている柔らかい輝度面である必要があります。
「曲面鏡と遊ぶ」のページで話しましたが・・・何気なくそこで言った、「自身の影の映り込みの歪みまで計算し、デザインしたカーブを使ったオブジェができるとしたら楽しいでしょう。」
光は単独ではその姿を現すことはできない、という内容は何度かお話ししました。物にあたってその物から反射した光が我々の眼に入ってきて、初めてその光が認識されるということです。
住宅の庭に面したガラス面は、昼間は外部と視覚的なつながりをもつが、夜間になり内側の光の量がが外側の光の量を超えてくると、室内を映す鏡となり、視界を遮ってしまいます。
鏡の正反射の事は、鏡遊びのページでもお話しをしました。正反射とは、光が入射角と同じ角度で入射した方向と逆の方向に反射することです。照明計画でもこの性質を利用して計画をすることがあります。
これからの世の中を生き抜く子供たちに必要なものは何か、とよく考えます。答えは一つではないでしょう。ただ私にも確信を持って言える事はあります。それは、パソコンやロボットでは代わりができない、人間本来の心と感性と知恵を持った魅力的な人間になることが必要だということです。
光の質と照射方法によって顔の見え方が大きく変わるのと同じように、料理の見え方も光によって見え方が大きく変わります。 雰囲気のあるレストランは、大抵間接照明で少し暗めな空間を演出している場合が多いものです
人は予想外のことが起こると、ドキッとします。恋愛がいつの日か違う形に変わっていくのも、相手に未知の部分がなくなり、想像の範囲を超えることがなく、もしくは想像以下でしかなくなるからかもしれません。は予想外のことが起こると、ドキッとします。恋愛がいつの日か違う形に変わっていくのも、相手に未知の部分がなくなり、想像の範囲を超えることがなく、もしくは想像以下でしかなくなるからかもしれません。
パンチングメタルのように、光を反射する部分と透過する部分を持つような半透過性素材は、光の演出の強い味方になります。透過性素材の内側と外側の光の強弱を工夫することで、その表情を大きく変えることができるのです。
戦後の日本の照明は右肩上がりに明るくなっていきました。当時、白く明るい空間が生産効率を上げるとされ、アメリカの執務空間が明るくなっていった事を背景に、日本もその影響をうけたのです。
家の鏡で見る顔と外の鏡で見る顔と違いませんか? 朝、鏡の前で「綺麗、綺麗」と思って出かけたら、駅の鏡で真っ白で派手な自分の顔にビックリ!なんてことはありませんか? それは朝の化粧鏡の前の照明が、外の光環境とかけ離れたものだからです。
光はそれ自身だけでは姿を現すことができませんが、対象物に対しては大きな働きをします。四角い物はシャープなエッジを強調することで、より角の持つ性格を強調して印象を強くすることができるのです。
人類が発生以来慣れ親しんできた太陽光のリズムは、我々のDNAに書き込まれ、その影響から逃れることはできません。朝の光に始まり、午前の光、真昼の光、昼下がりの光、夕方の光と、目からわずかな色味の違いを感じ取っています。こうした光の色は色温度で表します。 色温度とは、表現しようとする光の色をある温度の黒体から放射される光の色と対応させ、その時の黒体の温度をその光の色温度としています。